三島由紀夫の美

 三島の小説を読む時、僕は美の奔流に吐き気さえ催すことがある。 その嘔吐感の伴う美感覚は、作品自体に備わっている美とは少し違う。 それは三島自身の、あまりに複雑で、あまりに切実な美そのものなのである。 その気迫に当てられて、僕はすっかり顔が土気色になるのを感じた。 一番好きな小説は別にあるし、一番好きな作家も別にある。 だが、最も「天才」を感じるのは三島、かもしれない。 今は三島の文章に当てられて正気を失っているだけかもしれない。 実際、こういう風に三島を持ち上げることに大きな躊躇いを持ちながらこの文章を書いている。 そもそも「天才」なんて言葉は曖昧で、根拠に欠けるし、また、個人の範囲内でさえ、それを定義できていないのだから。 また、他の敬愛する作家たちに対する罪悪感をも感じてしまう。 そんなものは全く見当はずれのものだとは思いながら、しかし、僕にはそういう癖がある。 今日読んだのは、「海と夕焼」という短編。 正直、話全体としては共感しかねる作品だったが、冒頭の晩夏の夕焼けの描写がとても良かった。 思い返すと(いや、読んでいる途中も)、それほど変わった文章とも思えないのだが、どうしてか、泣きそうになるほどに心に来た。 僕がずっと追い求めている、特別な匂いがそこにはあった。 まさしく「もえるような郷愁」*1とでも言おうか。 それから、「花ざかりの森」の冒頭を書き写した。 そうやって、もう一度、ゆっくりその文章を味わってみると、「海と夕焼」を読んだ時と同じ、あの特別な憧れが胸を満たした。 三島由紀夫は、十六歳でこの短編を書いたという。 

*1:三島の短編「花ざかりの森」からの引用